2011/11/3/

ダイラタント流体、ダイラタンシー

片栗粉を水に溶いて濃厚な混合物を作ると、 急激な変形に対しては固体的に振る舞い、 ゆっくりとした変形に対しては流動性を示す。 いわゆるダイラタント流体である。

この流体の不思議な性質は、米村でんじろう先生1)の功績もあり、 一般に知られるようになったが、 どのようなメカニズムでこのような振る舞いが現れるかについて、 必ずしも共通の理解があるわけではない。

しかしながら、 日本語のWikipediaの「ダイラタンシー」の項目にある記述には、 明らかな間違いといくつかの混乱が見られる2)。 Wikipediaの記述を正そうと思ったが、 Wikipediaがどのような仕組みで運営されているのか充分理解していないので、 まず、自分のサイトにダイラタント流体についてまとめてみて、その後に、 可能であればWikipediaの編集に加わることにした。

  1. 米村でんじろうのワクワク地球実験室: 2005年「地球は生きている」
  2. Wikipedia: ダイラタンシー
    例えば、「原理:ダイラタント流体は一般に、液体と固体粒子の混合物である。 力を加えて粒子が密集すると粒子の間の隙間が小さくなり、強度が増し固体に なる。しかし力を加えるのを止めると再び粒子の間の隙間が広がり、元の液体 に戻る。」という説明は、以下で説明するレイノルズの膨張(ダイラタンシー) の原理とは逆の主張である。 様々なところで、このWikipediaと同様な説明がなされている。 (例えば、 朝日新聞の記事(2/15,2010)



レイノルズの膨張の原理(dilatancy principle)

レイノルズ(Reynolds)によって見出された、 粉体媒質の振る舞いに関する原理1)

密に充填された粉粒体媒質を変形すると、 粒子間の空隙が増して媒質全体の体積が膨張すること。 逆に、体積が膨張できないような状況では、 粉粒体媒質は変形できず固体のように振る舞う。

例えば、砂浜の波打ち際などを歩いていると、 踏みつけられた砂地の周辺が乾いて見えることがある。 それは、踏まれた砂地の内部で、 変形にともない砂粒の間の空隙が大きくなり、 水がそこに吸収された結果、表面が乾くのである。

コーヒー豆の真空パックなどが、 開封後はフニャフニャして自由に変形できるのに、 密閉状態では剛体のように振る舞うのも、 粉体媒質の膨張の原理で理解できる。即ち、 変形する為には体積が増えなければならないので、 パッケージの中が減圧されていると、 体積を増やす為に大気圧に抗して大きな仕事をする必要があり、 容易に変形できない。

1) O. Reynolds, Phil. Mag. 20 (1885) 469. "On the dilatancy of media composed of rigid particles in contact. With experimental illustrations"

ダイラタント流体(dilatant fluid)

非ニュートン流体の一種で、ずり速度とともに粘度が大きくなるもの。 外力により変形を受けると固化する様子が、 上記のレイノルズの膨張の原理に従う粉体媒質の振る舞いに似ていることから、 ダイラタント流体と呼ばれるようになった1)

最も身近で典型的な例は、片栗粉と水の濃厚な混合物。 数ミクロン程度の粒径の揃った粉粒体と液体の混合物は、 しばしば急激な変形に対して粘度が不連続に増加する2)。 即ち、ゆっくりと外力を加えた場合には、 液体が粉粒体粒子の間の潤滑剤として働き、混合物は流体のように振る舞うが、 急に加えられた外力に対しては非常に大きな抵抗を示し、固体のように振る舞う。

ダイラタント流体のこの性質と、 レイノルズの膨張原理(dilatancy principle)との関連は明らかではないが、 片栗粉と水の混合物中で急激に棒を動かした際に、表面が乾いて固化するのは、 レイノルズの膨張原理で説明されている3)。 即ち、変形にともない粉粒体の体積が膨張し、 それによってできた媒質内部の空隙に水が吸収されて、表面が乾く。 その結果、水の表面が粒径程度の曲率半径を持ち、 表面張力によって媒質に大きな負の内圧がかかる4)。 その負力の為、粒子が互いに押しつけられ、 その結果組まれた粉体粒子のアーチ構造で大きな負圧を支える為に、 媒質が固化するのである。

ネット上では、 「外力により粉体粒子が最密充填され、その結果固化する」といった記述が、 しばしば見られる。 しかし、外力によって粉粒体の充填密度が増加するというのは レイノルズの膨張の原理に反し、根拠に乏しい。
上で与えた通常の説明はその逆である。 即ち、あらかじめ最密充填に近い状態にある粉体媒質が、 外力による変形で空隙が増して膨張し、その結果、固化するというものである。

1) H Freundlich and F Juliusburger, Trans. Fraraday Soc. 31 (1935) 920--921. "Thixotropy, influenced by the orientation of anisometric particles in sols and suspensions"
2) A Fall, N Huang, F Bertrand, G Ovarlez, and D Bonn, Phys. Rev. Lett. 100 (2008) 018301. "Shear Thickening of Cornstarch Suspensions as a Reentrant Jamming Transition"
3) ME Cates, MD Haw and CB Holmes, J. Phys.: Condens. Matter 17 (2005) S2517--S2531. "Dilatancy, jamming, and the physics of granulation"
4) 曲率半径が10ミクロン程度の水の表面が与える負圧は0.1気圧程度。

shear thickening, jamming

コロイド分散系におけるずり粘化(shear thickening)

コロイド分散系とダイラタント流体は、どちらも微小な固体粒子を液体 に分散させた系である点が似ている。両者の大きな違いは、熱揺らぎに起因す る粒子のブラウン運動が無視できるかどうかにある。即ち、今問題にしている 片栗粉水ではデンプン粒子の粒径が10μm程度以上で、そのブラウン運動は無 視できるのに対して、コロイド分散系とは、通常、粒径1μm以下の粒子が流体に 分散した系をいい、その粒子のブラウン運動は顕著で無視できない。

濃厚なコロイド分散系は、通常、ずり流とともに粘性が小さくなるずり薄化 (shear thinning)を示すが、 更に大きなずり流の下では急激なずり粘化を示すことがある。

コロイド分散系のずり薄化は、 静止状態ではブラウン運動の為に乱雑に配置していたコロイド粒子が、 ずり流とともに流れに沿って層状に整列し、 その為にずり抵抗が小さくなると理解されている。 更に大きなずり流の下では、この層構造が液体の流れの為に壊され 再びずり抵抗が大きくなるというのが、 コロイド分散系でのずり粘化の伝統的な説明であった1-4)

このような整列状態や それから無秩序状態への遷移が見られる場合があるものの1,5)、 整列状態が現れない場合や、 不連続なずり粘化転移の前後で粒子の配位の明確な変化がない例6,7,9)が いくつも報告されていることから、疑問視された。

これに対して、数値シミュレーションで見出された 高ずり流での粒子クラスターがずり粘化の原因であるとする説が現れた8-10)

粒子クラスターによるずり粘化の説明は以下のようなものである。 ずり流の下で圧縮方向に高密度な粒子クラスターが形成され、 ずり流とともに生成と崩壊を繰り返す。 特に、一度近づいた2つの粒子が、粒子間の流体力学的な相互作用の結果、 ずり流に乗った近接粒子がすれ違う時間よりも ゆっくりとしか離れられない場合には、このクラスターは大きく成長する。 このようなクラスター内の粒子同士はほとんど接触するほど近接しており、 その結果、粒子間に働く潤滑力(lubrication force)が支配的となって、 それによる散逸がずり粘化を引き起こすというのである。

中性子の小角散乱実験でクラスター生成と矛盾しない結果が得られたり9)、 また、流れ場の方向に配向した棒状の粒子系でも 球状粒子系と同様の不連続なずり粘化が生じるにもかかわらず、 不連続粘化の前後で棒状粒子の配向に特段の変化が見られないことなどから11)、 現在では、 上のような流体力学的メカニズムによるクラスター生成が ずり粘化の原因であるという説が有力である。 最近になって、 数値シミュレーションで見られたようなクラスター8)が実際に観測されたという 報告も現れた12)

一方、 通常のコロイド粒子よりも大きな粒子からなるダイラタント流体の激しいずり粘化は、 コロイド分散系とは異なり、 接触する粒子間の相互作用が重要な役割を果たしていると考えられている。

1) RL Hoffman, Trans. Soc. Rheol. 16 (1972) 155--173. "Discontinuous and Dilatant Viscosity Behavior in Concentrated Suspensions I. Observation of a Flow instability"
2) RL Hoffman, J. Colloid and Interface Sci. 46 (1974) 491--506. "Discontinuous and Dilatant Viscosity Behavior in Concentrated Suspensions II. Theory and Experimental Tests"
3) RL Hoffman, J. Rheol. 42 (1998) 111--123. "Explanations for the cause of shear thickening in concentrated colloidal suspensions"
4) HA Barnes, J. Rheology 33 (1989) 329--366. "Shear-Thickening("Dilatancy") in Suspensions of Nonaggregating Solid Particles Dispersed in Newtonian Liquids"
5) M. Chow and C. Zukoski, J. Rheol. 39 (1995) 33--59. "Nonequilibrium behavior of dense suspensions of uniform particles: Volume fraction and size dependence of rheology and microstructure"
6) H.M. Laun, R. Bung, S. Hess, W. Loose, O. Hess, K. Hahn, E. Hädicke, R. Hingmann, and F. Schmidt, J. Rheol. 36 (1992) 743-787. "Rheological and small angle neutron scattering investigation of shear-induced particle structures of concentrated polymer dispersions submitted to plane Poiseuille and Couette flow"
7) BJ Maranzano and NJ Wagner, J. Chem. Phys. 117, 10291 (2002). "Flow-small angle neutron scattering measurements of colloidal dispersion microstructure evolution through the shear thickening transition"
8) JF Brady and G Bossis, J. Fluid Mech. 155 (1985) 105--129. "The rheology of concentrated suspensions of spheres in simple shear flow by numerical simulation"
9) Jonathan Bender and Norman J. Wagner,J. Rheol. 40 (1996) 899--916, "Reversible shear thickening in monodisperse and bidisperse colloidal dispersions"
10) JR Melrose and RC Ball, J. Rheol. 48 (2004) 937--960. "Continuous shear thickening transitions in model concentrated colloids ―The role of interparticle forces"
11) RG Egres and NJ Wagner, J. Rheol. 49 (2005) 719--746. "The rheology and microstructure of acicular precipitated calcium carbonate colloidal suspensions through the shear thickening transition"
12) Xiang Cheng, JH McCoy, JN Israelachvili, I Cohen, Science 333 (2011) 1276-1279.. "Imaging the Microscopic Structure of Shear Thinning and Thickening Colloidal Suspensions"

ダイラタント流体と粘弾性体との違い

チューインガムのような高分子の溶融体なども、 急激な変形に対しては固体の弾性体として振る舞い、 ゆっくりとした変形に対しては流動性を示す。 短い時間は固体、 長い時間では液体として振る舞う点はダイラタント流体と似ているが、 こちらは粘弾性体と呼ばれている。

粘弾性体とダイラタント流体の振る舞いの最も大きな違いは、 急激な外力に対して、 粘弾性体はゴムのように大変形をするのに、 ダイラタント流体はほとんど変形を許さず、 限界を超えると脆性破壊してき裂を生じる点であろう。

また、ダイラタント流体は外力を除くと直ちに流動化するのに対して、 高分子溶融体が流体として振る舞うのは、 通常、数分以上の長い時間スケールに対してである。